ニートちゃんの思考公開です。

はじめまして。
ニートちゃんです。

……なんて、読者に喋りかけるように文章を書いてみたけども、これからは独り言をしゃべる文体で行きたいなあ、なんて思ってる。
だって、人を意識してのですます調だと推敲しちゃうから、添削しているうちに自分の文章じゃなくなっちゃうからね。
その点、独り言って便利な気がするのよ。

でも、「だったら自分だけに見れるようブログにすればいい」とも言われそうだけども、それだと続かないのよねー。

つい最近エバーノートがめちゃくちゃ便利だと腑に落ちるように気づかされて、ノートに自分の考察なり、アイデアなりを書いてはいたんだけど、続かなかったんだもん。飽きたわけじゃないんだけど、続かなかった。
だって、まだまだ積み重ねのノートが少ないエバーノートだったから、自分にくるメリットが少ないからね。


私が考えるデジタル的に文章を残すメリットは3つ。検索できる記憶としての積み重ね。PCなりスマホなりで共有できるから、どこでも書ける。他人からのレスポンス。

中でも私は他人からのレスポンスが欲しかったみたい。
エバーノートを使いこなせなかったわけだもん。
アクセスなり、コメントなりの、レスポンスがないから、一人で誰にも見られない文章を書くことに多大なる労力を発揮してしまうわけ。
ニートちゃんはつかれをおぼえた!的な。


たまに「こういうものがあったらいいなあ」とか「あの現象の真実はこうなんじゃないか」とかいったアイデアが頭の中で出てくるのだけど、質はどうであれこれを流してしまったらもったいない、と思ってたのよ。
だからエバーノートに書いてたんだけど。

次自分が見やすいようにとか考えながら文章を書くとね、あっという間に数時間経ってるのよ。
でもね、そうすると、疲れるのよ。
イデアをまとめるために頭は疲れるし、ディスプレイを見てると目も疲れる。

で、誰に披露するわけでもない文章を布団の中で丸まってiPhoneに書き込んでる自分を俯瞰して「なにやってんだろ」とか思っちゃうじゃん。アイデアを書いてるときは楽しいのだけど、そのあとがまじで疲れるのよ。
今思うとこれが賢者タイムなのかもしれない。


でもさ、ほんとニートにとって疲れはよろしくないわけ。

だって、「疲れたから明日風呂に入る」が平気で2週間くらいやっちゃってんだもん。
あんまりに不規則な生活してると、立ちくらみが数十秒とかだからね。リビングでヤジロベエみたいに両手開いてバランスとってんだよ?
実際、風呂に入りたくても、入ったらヤバイ。倒れる的な危機感を覚えるさよ。

まーね、今日カーチャンにさすがにそろそろ入りなさいと怒られてしまったので、入ったけども。毛量が多い上にロングヘアーな私の頭がベットベトになっていたから、全然シャンプーが泡立たなくてさ。洗いが中途半端だと、余計にベタつくし。ちょーめんどくさいのよこれが。


それに不規則な生活も中々治らないしさー。
どうにかなんないかな、って思うのよ。

1週間ほど前まで、12~14時に就寝、20~22時起床が定着しつつあったからさ。これは色々ヤバイと思ってね、太陽が出てるときに起きてないと、外に出るきっかけがなくなると感じてね。(こんなんでも準引きこもりを脱出したいと思ってるのよ)
それでね、一日寝ずに次の日の22時に就寝すれば、リセットされて生活リズム取り戻せるかなーとか思ってやってみたの。でもね、そしたら夜中に起きちゃって、結局睡眠時間足りなくてね(前日寝てないし)、昼寝しちゃっておじゃん。また深夜生活の始まりですよ。


この生活もね、毎日の倦怠感に影響を与えてるだろうからさ、エバーノートをぼっちで使うとレスポンスがないから寂しくて続かない、の理論は一概に通用しないのかもしれないけどさ。

私自身ノートを一人で書き書きするのが(今は)向いてなかっただけだから、これからはブログにしたためようと思うわけだのよ。

(今は)って書いたのは、これから手書きで日記を続けて書けたらいいな、というのがあるからであって。
手書きの日記ってすてきじゃん?ほぼ日を使いこなしたい野望があるんですよ。
今は三日坊主なのがわかってるからやらないけど。


それでも(今は)ニートちゃんだって、人に見られたい自己顕示欲なり、レスポンスが欲しいっていう寂しさだってあるわけですよ。
で、ブログならそれを満たしてくれるんじゃないかという、希望的観測を持っているわけですよ。

賢者タイム後でもレスポンスというご褒美がある(かもしれない)から、楽しめそうな気がするのよ。
頭の中からっぽになるまで文章かけたらいいな。なんてね。

そんな感じの気持ちなので、これからブログ始めよーと思います。