映画モテキを見て、自己重要感・肯定感が気づかされたという当たり前の話

※ネタバリ有りの感想



映画モテキなんだけどさ、ぶっちゃけ主人公の森山未来モテてないよね。
しかもヒロインは長澤まさみと、麻生久美子のツートップでさ。2人っすよ。少ないよねー。でも映画良かったー!

一昨日レンタルしてきたんだけどさ、昨日見たのよ。
色々また共感が辛くって、痛くって、苦しくって、2時間の映画を4時間以上かかって見ましたけど。(心臓がうるさいくらいに展開が怖くてつい一時停止しちゃうww)


今回の長澤まさみは、どこぞのレビューにドラマの土居亜紀といつかちゃんと夏樹を、足して割ったような人って書いてあったけど、まさにそれだね。
だから前回の記事で話したように、元々3人に共感してた私は、長澤まさみにもナチュラルに共感。

でも今回のニューキャラクター。麻生久美子。彼女は彼女でやばい。これもがっつり私の中にいたキャラクターって感じ。



そうそう、相変わらず墨さんは墨さんで、傷つく女を手籠めにするのがうまいよね。
後半さ、傷ついた麻生久美子が墨さんとえっちしちゃうじゃない?

前回の記事で言ったように、私もいつかちゃんみたいに墨さんみたいな年上の男の人とえっちしちゃったことあるのよ。

でさ、その後の話なんだけど。

それからさ、傷ついた麻生久美子は一目も気にせずに牛丼屋で好きなだけ食べて、吹っ切れたみたいなシーンあるじゃない?
あれよ、あれ!
あたしも元彼やら、墨さん的な人やらで男関係面倒になった後ね、3日間牛丼屋通ったら吹っ切れたことあんの!
それまであんまり一人でご飯とか外で食べたことなかったのに!


麻生久美子はさ、ちょっと内気っていうかさ。頑張り屋さんなところがあるじゃない?
墨さんにも「るみ子ちゃんは頑張り屋さんだね 俺のえっち正確じゃなかった?」的なこと言われちゃうくらいにさ。

あたしもえっちじゃないけど、色んなところで「頑張り屋さん」のラベルをつけられてきたしさ。だから今エネルギー切れでニートやってんだけどさ。
ぶっちゃけ私も麻生久美子も、燃え尽き症候群じゃん?


麻生久美子のキャラってさ、なんだんだ覚悟決めないと一人では何もできない……だから行動派の長澤まさみと一緒に絡んでると新たな世界が見れるようで嬉しい。的なところがあるじゃない?(これは想像だけど)

でも、失恋がきっかけで何もかもどうでもよくなって、牛丼屋で飯をかきこむ!そしたらなんだか楽しくなってきた!的なね。


まんま私と一緒ですよ。やばいっすよ。
ほんとドラマといい、映画といい、あたしが出演してんのかと思ったわ。
作者あたしの人生監視してたんじゃないかな?ってレベル。

もちろん、あれだ。ドラマと映画が終わった後に経験したことだから、時間軸ズレてるから四次元の空間からだと思うけど。



それはさておき、麻生久美子と言えば、重い女のシーン。
森山未来にヤリ捨てされ、でもそれでも好きって伝えたら、こっぴどく振られて、逃げ行く森山未来。話を聞いてもらいたくてタックルする麻生久美子
「直すから、私のダメなとこ直すから!好きな音楽だって勉強する!ゆーちゅーぶで聴くし!服装だって変えるし!」
このシーンね。

このシーンほんとやばかったね。
悲しいかな。女って醜いなって思ったね。
イジワルな面がある女って醜い。とかそういうのじゃないのよ。この人が欲しいから自分なんかおざなりにしちゃう。だから見捨てないで!的な他力本願な、依存思考なシーンが、たまらなく人間らしい。この立ち位置って愛らしいレベルで弱者だよね。
でもやっぱりボロクソ泣いて、懇願してる姿って見た目が醜いなあ。

私は依存するほど好きになった男はいないから、これまでの人生、ここまで重い女ではなかったと思うけど、多分こういう思考はあったのよ。

森山未来だってそうじゃん。好きなことやりたい。自分らしくいたい、っていうモラトリアムを三十路越えでもしてて。
自分に好意のある子が好き。その子を手に入れるためにはなんでもしたい!だから他人だって傷つけちゃう☆的なさ。

なんだかんだ、自分がないからこそ人がくれるものを求めちゃうじゃない?
私は前回の記事で、同窓会の男子やら元彼やらにきついことを言われたって話をしたけどさ。あれって好きなものはあるけど、当時は自分がないからDQNにいじめられやすかっただけなんだと思うんだわ。(元彼はDQN系男子☆ミ)
私もさ、友達に「DV男にはまりそう気を付けてね」って言われたけどさ、それって自己肯定感のない自分が悪いんだよなー、って書いてて今思ったわ。

麻生久美子は好きな人のために自分をかえる。森山未来だって自分にやさしい子が好き。
モテキの映画を見て、自己重要感って大事なんだと気づかされたわ。
自分がない人って見ててイライラすんのね。

でもそういうのがあるのもしょうがないかな。
そういう人間らしい衝突って、なきゃ成長しないし、巻き込まれたらただイヤなタイミングだったってだけで、あってほしいよね。他人にも自分にも。

私は自分がないから衝突をしたことって結構あったよ。
今は何もないニート生活だから衝突すらないけど。さみしいよねー。



って、なんだかしんみりしちゃったんだけどさ。
映画モテキちょー面白いよね。
ドラマ版は主人公の森山未来よりも、女の子の成長物語って感じだったけど、映画版は森山未来も成長して、でも後のことを考えたくない、っていうような終わり方がまだ大人になりきれてない主人公を表してて。
うまいよねー。
主人公とヒロイン2人の、誰も正義感のないところとか人間らしくてね。

モテキらしい!まとまった!」って感じ。面白かったなあ。



って、この文章ね、若干気づいてはいたけど、無視してた「自分とヒロインが似ているか探し」になっていて、感想は面白かったしか言ってないような気がする。

ということで最後にPerfumeの話。
本物出たときにはビビった!そして森山未来が混ざったのがビビった!
リアルに「ええ!?」って声に出てたもんw
どこぞのインタビューに載ってたんだけどさ、本当は森山未来は見てるだけのシチュエーションだったんだけど、希望で一緒に踊ったんらしいんだわ。
それさあ・・・ほんとグッジョブ!
いつもの三角形のフォーメーションが、台形や平行四辺形になったり。
面白いをこえて、新しくて最高にかっこよかった。

これだけでも見てよかったってなったわ。それだけじゃないけど。



映画モテキ。ほんと見てよかった。



蛇足。
長澤まさみの寝顔の写メ撮ったときの側転、まじで最高だったwwwww

ドラマモテキを見たら、私も処女をドブに捨てたんだと気づかされた

数か月前に再放送を録画したモテキのドラマ版を初めて見たのだけど、ちょーハマっちゃって。
音楽とドラマの融合具合がさ、ドハマりですよ。

ニートちゃんことあたし的には、土井亜紀もいつかちゃんも夏樹も、自分の中に居るから、どの女の子が出ても見てて辛かった。

土井亜紀の、イライラしてつい男を煽っちゃうとことか、
夏樹の、お酒飲むとどーでも良くなっちゃってエロいことしたくなっちゃうとことか、
いつかちゃんの処女をドブに捨てたとことか。

それはもう、えぐいほどに共感がやばかった。



でも中でもいつかちゃん回が苦しかった。

自分が女の子してんのが恥ずかしいし、サブカルが好きだけど人から受け入れてもらえないのが苦しいし、恋愛だってしちゃうし。

恋してんのか、憧れなのかわかんないけど、年上のコミュ力の高い男に、伝えられないけど夢中になって。
もうダメだって、わかって。お酒飲んでどうでもよくなって、ヤケになって、好きでもない男に処女をささげてしまう。=処女をドブに捨てる。

やー、ほんとね。あたしがドラマに出てんのかと思ったわww
あたしもさあ、同い年の男と別れてさ、その後色々あってさ、お酒入っちゃってさ、好きでもない男に丸め込まれてさ……、初合体しちゃったかんねー。
ロストバージンがこんなヤな思い出なんすよ。


しかもさ、私もいつかちゃんが聴くような音楽好きだからさ、でもそういうのが一般受けしないってわかってるからさ。それも共感。

あたしもねー、数年前に同窓会に行ったときにさ、カラオケでロキノン歌ったのよ。
でもそしたら当時クラスで目立ってた男子がさ、「お前俺らにわかる歌歌えよ。つか倖田來未歌えねーとかなんなのお前www」ってゲス顔で言ってきたの。
でさ、そいつは湘南乃風純恋歌とか歌ってんの。ちょーつまんねーって感じっすよ。あたしそういうの好きじゃないんだよね。
こっちとしては「何メジャーな音楽聴いてドヤ顔してんの?そっちのが恥ずかしいわwww」とか思ってたけど、目立つ奴に楯突けないからさ、「ごめん」つってモヤモヤモヤ……。

それにさ、処女をドブに捨てるきっかけになった元彼もさ、カラオケで純恋歌歌ってたしさ。
んで、元彼があたしに好きな音楽を聴いてきたときさ、ロキノン系を挙げたの。そしたら「俺はふつーの歌が好きなの。バンドは好きじゃないの」とか言うワケ。
なんだよ、ふつーの歌って。純恋歌がふつーの歌っすか。つかなんでバンドは嫌いなんだよ。的なさ。こっちでもモヤモヤモヤ……。

や、いいのよ、別に純恋歌。好きな人は好きで。
でもあたしはロックが好きなのよ。それをゲス顔でバカにされるとかされてきてるからね。
ほんとカラオケとか……ヤな思い出があるよねえ。


だからさ、いつかちゃんがカラオケで「ロックンロールは鳴りやまないっ」を歌ってスッキリしたときは、痛々しかったんだけどさ、よくやった!って思ったのよ。

いつかちゃんの元好きな男は、それこそ純恋歌歌ってるし(このシンクロはガチでびっくりしたww)、えっちした男はコミュ力でみんなが楽しめる曲歌ってるし。
自分が場違いなのは、わかってんだよ。
でもそこでね、みんなが知らないけど、自分は好きな「ロックンロールは鳴りやまないっ」を歌いきってさー。もうね、ちょー胸熱。あたしもあの曲の歌詞わかってたしさ。
最後の鳴りやまないっ!をどう歌うかなーって思ってたらさ、いつかちゃんガチで叫んでてさー。はあああああああ、もう、ほんとよくやってくれたって感じ。
共感するとこが痛くって苦しくって、この回見るのにめちゃくちゃ時間かかったけど、歌うとこだけは何度も巻き戻してリピートしたなあ。


でもさ、このドラマが放送されたのが2010年。あたしが見たのが2014年。 ぶっちゃけさ、2010年に見てたら、いつかちゃんみたいにドブに捨ててなかったしさ、土井亜紀みたいに人を煽るようなこともしてなかったしさ、夏樹みたいに酒飲んでどーでもよくなっちゃう……なんてこともなかったんだよなあ。
そう思うと2014年にこのドラマモテキを見たのは、変なシンクロ感じるわー。

作者すげーな。こじらせ女の共感をここまで出させるなんて。

経験って怖いっ!!!!!

ニートちゃんの思考公開です。

はじめまして。
ニートちゃんです。

……なんて、読者に喋りかけるように文章を書いてみたけども、これからは独り言をしゃべる文体で行きたいなあ、なんて思ってる。
だって、人を意識してのですます調だと推敲しちゃうから、添削しているうちに自分の文章じゃなくなっちゃうからね。
その点、独り言って便利な気がするのよ。

でも、「だったら自分だけに見れるようブログにすればいい」とも言われそうだけども、それだと続かないのよねー。

つい最近エバーノートがめちゃくちゃ便利だと腑に落ちるように気づかされて、ノートに自分の考察なり、アイデアなりを書いてはいたんだけど、続かなかったんだもん。飽きたわけじゃないんだけど、続かなかった。
だって、まだまだ積み重ねのノートが少ないエバーノートだったから、自分にくるメリットが少ないからね。


私が考えるデジタル的に文章を残すメリットは3つ。検索できる記憶としての積み重ね。PCなりスマホなりで共有できるから、どこでも書ける。他人からのレスポンス。

中でも私は他人からのレスポンスが欲しかったみたい。
エバーノートを使いこなせなかったわけだもん。
アクセスなり、コメントなりの、レスポンスがないから、一人で誰にも見られない文章を書くことに多大なる労力を発揮してしまうわけ。
ニートちゃんはつかれをおぼえた!的な。


たまに「こういうものがあったらいいなあ」とか「あの現象の真実はこうなんじゃないか」とかいったアイデアが頭の中で出てくるのだけど、質はどうであれこれを流してしまったらもったいない、と思ってたのよ。
だからエバーノートに書いてたんだけど。

次自分が見やすいようにとか考えながら文章を書くとね、あっという間に数時間経ってるのよ。
でもね、そうすると、疲れるのよ。
イデアをまとめるために頭は疲れるし、ディスプレイを見てると目も疲れる。

で、誰に披露するわけでもない文章を布団の中で丸まってiPhoneに書き込んでる自分を俯瞰して「なにやってんだろ」とか思っちゃうじゃん。アイデアを書いてるときは楽しいのだけど、そのあとがまじで疲れるのよ。
今思うとこれが賢者タイムなのかもしれない。


でもさ、ほんとニートにとって疲れはよろしくないわけ。

だって、「疲れたから明日風呂に入る」が平気で2週間くらいやっちゃってんだもん。
あんまりに不規則な生活してると、立ちくらみが数十秒とかだからね。リビングでヤジロベエみたいに両手開いてバランスとってんだよ?
実際、風呂に入りたくても、入ったらヤバイ。倒れる的な危機感を覚えるさよ。

まーね、今日カーチャンにさすがにそろそろ入りなさいと怒られてしまったので、入ったけども。毛量が多い上にロングヘアーな私の頭がベットベトになっていたから、全然シャンプーが泡立たなくてさ。洗いが中途半端だと、余計にベタつくし。ちょーめんどくさいのよこれが。


それに不規則な生活も中々治らないしさー。
どうにかなんないかな、って思うのよ。

1週間ほど前まで、12~14時に就寝、20~22時起床が定着しつつあったからさ。これは色々ヤバイと思ってね、太陽が出てるときに起きてないと、外に出るきっかけがなくなると感じてね。(こんなんでも準引きこもりを脱出したいと思ってるのよ)
それでね、一日寝ずに次の日の22時に就寝すれば、リセットされて生活リズム取り戻せるかなーとか思ってやってみたの。でもね、そしたら夜中に起きちゃって、結局睡眠時間足りなくてね(前日寝てないし)、昼寝しちゃっておじゃん。また深夜生活の始まりですよ。


この生活もね、毎日の倦怠感に影響を与えてるだろうからさ、エバーノートをぼっちで使うとレスポンスがないから寂しくて続かない、の理論は一概に通用しないのかもしれないけどさ。

私自身ノートを一人で書き書きするのが(今は)向いてなかっただけだから、これからはブログにしたためようと思うわけだのよ。

(今は)って書いたのは、これから手書きで日記を続けて書けたらいいな、というのがあるからであって。
手書きの日記ってすてきじゃん?ほぼ日を使いこなしたい野望があるんですよ。
今は三日坊主なのがわかってるからやらないけど。


それでも(今は)ニートちゃんだって、人に見られたい自己顕示欲なり、レスポンスが欲しいっていう寂しさだってあるわけですよ。
で、ブログならそれを満たしてくれるんじゃないかという、希望的観測を持っているわけですよ。

賢者タイム後でもレスポンスというご褒美がある(かもしれない)から、楽しめそうな気がするのよ。
頭の中からっぽになるまで文章かけたらいいな。なんてね。

そんな感じの気持ちなので、これからブログ始めよーと思います。